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2017.4.13

ゆくえしれずつれづれ「MISS SINS」 ライナーノーツ

皆さんおはようございます、codomomental(W)です。朝です。

 

オレンジジュースを飲んでいます。このサイト(codomomental.com)を新しくしてから、ちょこちょこ触っていたのですが、codomomentalとしての写真素材がない。忙しすぎてそんなの撮ってない。ということで通常部分はまだ整備しなくてもいいかななんて思ってるダメダメな人間です。なのでブログ部分以外は見ないように。あ、でもTOPページの映像(PCで見られます、スマホは見れないです)はこのサイトの為に再編集してるものなのでそれだけは見ても面白いかもです。ただ、結構前に、GESSHI類からこのライナーノーツをもらっていたので、折角だからしっかりと出しておきたいと思ってここに。では以下GESSHI類より。

ゆくえしれずつれづれ(Not Secured,Loose Ends)「MISS SINS」

どうもGESSHI類です。つれづれにとっては2ndシングルになります。

M1:MISS SINS
M2:我我
M3:春夏秋闘

 

という3曲になっています。では順に。

 

MISS SINS

とにかく水谷和樹氏が織り成すピアノの旋律が印象的なこの楽曲。何度もDEMOを聴いて相応しい歌詞にしなければいけないと強迫観念に駆られました。この歌詞に関しては、以前つれづれが激ロックさんのインタビューでとても面白いことを言ってくれていました。

ゆくえしれずつれづれ「MISS SINS」激ロックインタビュー

◎屋が白夜行の話しを引き合いに出してくれていて、あぁなるほどと。私自身とても好きな小説なのですが、この歌詞に関してメンバーとは少し違った印象を持っていまして。歌詞なんていうのはそもそも其れを感じてくれた方々の解釈でいいんです。独自解釈の方が面白いし、これが正解です、と提示するものではありません。それを踏まえた上で書きたいと思いますが、私の中では最高に希望溢れる歌詞になっていると思っています。

そもそも私はこのコドモメンタルINC.において、圧倒的自己犠牲の精神を目の当たりにしています。自己犠牲というと重い感じがしますが望んで其れを実行している人たちがいる。誰かの為にその命すら削って。時に泣きながら。私はその行為がたまらなく眩しく苦しいなと常日頃から思っています。でも、だからこそ、輝くべきものが輝けるのだとも思っていて。ともすれば、このMISS SINSという楽曲はそんな愛の織り成す優しさで構成されているんです。

人間の弱さは、人それぞれあれど、満遍なく誰も彼も弱っていて。そんな中で不器用ながらも必死に生きています。総じて愛に。そう信じています。でもこれが難しいところで、私は想いが「同じ」であることに美徳を酷く感じてしまいます。これは私自身が欠陥品であることの証でもあると思っていて、シングル曲として正解かどうかはわかりません、そこは失格だと思いますが、採用してもらったので私の魂も報われました。というように、想いは「同じ」で居たいのです。実社会ではかなり難しいことだと思います。ありえないことかもしれません。

例えば君が罪を犯すのならば、私も同等の罪を犯すでしょう。なんの躊躇もなく。

こんなに希望溢れることがあるのでしょうか?私には此れ以外の希望はあり得ません。倫理観を飛び越えて、あなたの為に私が出来ること。もしも今生で生き別れるのだとしても、其れさえも無視し、この希望と手を繋ぐ。書き上げてしばらく放心状態になりました。愛の為に生きて、愛の為に死ねる、最高の舞台がこの苦しい「生きる」という行為なら、全ての罪も愛おしく感じます。あくまでも君が犯すのならば、です。

ただ、この世は紛れもなく残酷です。幾度となくその残酷な様相は顔を見せ、私たちの日常を一瞬にして壊していくのです。何がそうさせるのか、因果応報か、運命か、そんなものは理解の範疇を超えていく。羽はもげ、黒い血も流れるでしょう。そんな私は消え去る定めなのだと思います。けれどもこの「想い」は決して消えることはない。赦してください、この想いが此処に止まることを。そんな風に思いながらも君を想フ。ごめんね。

でも君さえ生きていてくれれば、君が君で在るのなら、私が望むことは100%其れこそだから。其れだけが真実だから。と。

だから一人ひとりになってしまう、という感じでは決してなく、お別れなどでもなく、最後の一文は私から貴方への圧倒的な愛の告白でした。つながりでした。希望でした。救いでした。教えでした。其れこそが、其れだけが宗教でした。

歌ったものを聴かせてもらった時、サビを一人ひとりが歌ってくれていて涙が出たものです。小町が言うように、私から貴方への構図でしたから。でもやはり一つ言えることは、水谷氏がこんな楽曲を作ってくれて、ゆくえしれずつれづれが歌うから、このMISS SINSという楽曲に成ったのです。

 

我我

はい、ががと読みますが、とてもストレートに「われわれ」でもいいなとつけたタイトルです。ゆくえしれずつれづれがLIVEでなにを表現しているか、という楽曲です。わかりやすいくらいこれがゆくえしれずつれづれのLIVEの側面です。と。

勿論彼女たちはもっと深淵を辿るようなステージを見せてくれるので、あくまでも側面なのですが、こんな感じも持っています。です。

あぁ、他に書くことがありません。笑 本当にそのまま。彼女たちのLIVEを思い出していたら書き上がっていたのがこの「我我」なので。

 

春夏秋闘

この楽曲の歌詞は少年がミルク氏が担当してくれています。とてつもない歌詞になっていて、私が何かを言うなどは烏滸がましいので聴いた感想を少し。まず死んだのが最初のサビ「僕らは 何も 言えずに 笑う」そんなフレーズ出てきてしまうのがずるいです。一瞬で泣きました。何故こんな難解な歌詞の中に、こんなにもエモーショナルな感情をそのたった一文で入れられるのか、本当に才能の違いとは残酷だなと。笑

そしてやっぱり彼女が書く歌詞はアンチイズムの塊なんですよね、彼女こそPUNKSです。その上ニヒリズムもあるもんだから中毒です。そして何と言っても

讃頌か 冤罪か 慢心か D・O・D
炎天下 再放送 伝説をくれ
我々は 先陣だ 静粛に  踊れ
我々が 先陣だ 盛大に 泣け

というラストサビは此れこそが伝説じゃないでしょうか?またこれを歌えるようになったゆくえしれずつれづれというアーティストが最高にカッコいいという単純な話しです。まさに「Y x T x H x C」完全なる彼女たちがのハードコアじゃないですか。私は海外の音源も沢山聴きますが、こんなアーティストいません。唯一無二です。変です。イかれています。

話しは少し変わるんですが、隣で話しを聞いていた盗み聞き情報です。しゃちょと少年がミルク氏はほぼ同郷(育ち)みたいなもので。彼らの地元に突如開催されるPUNKSのGIGがあったようです。それが「炎天下」というものだったようで。無許可の其れは機動隊との衝突を繰り返し、音楽を反骨でかき鳴らすLIVEを毎回していたようです。この歌詞を書いている時に、私は事務所で「我我」を書いていて、同じように事務所で「春夏秋闘」を書いていたのが少年がミルク氏でした。

そして彼女は書き終えてしゃちょに見せている時に「これってあれ?」と聞かれ、二人して「えへへ」と笑っていました。死ぬほどそのワールドが知りたいなとその時強烈に思ったものです。どんな熱だったのか、どんなエモーショナルだったのか。今となっては想いを馳せるしかないのですが。そんな昔の思い出も入ってる楽曲ですね。

 

と。

 

少し「MISS SINS」に思い入れが深すぎて長くなってしまいました。読んでもらえると幸いです。

 

そしてアートワークを見た時に思ったんですよ。やっぱりイかれてるって。どうしてそうなったのかは彼の頭の中だけにあるのでしょうが、蝶と繭。相反するアンチノミーです。徹底してるんです、二律背反ですね。ぞくぞくしました。ままなりままならぬ、まるでこの世です。

 

でもそれだけじゃない。なんか背景がおかしい。「ん?」と思えた人はだいぶコドモメンタルINC.にヤられてる人でしょうね。モールス信号でした。変態of変態。やっぱり徹底的までに創作したいんですよねきっと。それだけこのゆくえしれずつれづれというアーティストのブランディングを大切にしてるんだなと改めて思ったものです。というか、作るもの全てですが。

 

またバランスも良いと思います。考えさせられるメッセージ性あるもの、考えずとも体が勝手に動くもの、エモーショナルの極地と。

 

是非とも今一度この楽曲たちを愛してくれると幸いです。