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2018.3.24

少年がミルク「トーキョー・ネコダマシー」

皆さんこんばんわ、codomomental(W)です。深夜です。

 

今日は少年がミルクの初アルバム「トーキョー・ネコダマシー」について。

 

少年がミルク 1stフルアルバム「トーキョー・ネコダマシー」

© 少年がミルク

ちょうど先ほどM1「トーキョー・ブルーガール」のMVが公開されました。観てくれましたか?

はい。パクられていきましたよ笑

 

今回MVには、色んな人が出演してくれています。水谷和樹・兒玉拓也・あんみつ・Hitomi(from MOP of HEAD)・福山タクと。皆それぞれの場所で活躍するお仲間さんたちだけども、今回作品が出来た時からオファーしようと思っていたので実現してよかった。

© 少年がミルク

タクちゃんの顔が犯罪者みたいになってるけど、めちゃくちゃいい子なんです。どっかの現場に行けば会えます、よく色んなところにいるから笑

 

さてMVの話はMVを観てもらえばいいとして。今回はアルバムについて。

 

僕と少年がミルクが一緒にこうして音楽をやり始めてから初めて出来たアルバムです。本当に嬉しいし、同時に悔しさもある。もっとやりたかったことがあるし、もっと出来る部分もあったかもしれないし。でも基本的に悔しくない作品なんて作ったことがないので、きっとこれで正解だったんだと思う。と言うのは、全てが整いました!って状態なんて存在しなくて満足度120%なんて作品が出来ちゃったらもうあとは辞めるしかないと思うんです。

 

そういう意味では次に繋がる作品にしっかりとなってると思うし、もっともっとって意欲が出た一枚でもある。

 

この中で一番最初に出来てた楽曲って言えばM3「ハロー神様ダンス」だった。DEMOの状態で持ってる人もいると思うんだよね特典として。で、良い意味でも悪い意味でもこの楽曲がなかったら作れなかった楽曲だった。指標(ガイドライン)という意味での楽曲だった。少年がミルクの音楽ってのは決まりなんてなくて、ジャンルなんてものもなくて、少年がミルクが歌詞を書いて歌えばそれはもう少年がミルクの音楽として聴いてもらえると僕はずっと思っていて。アルバムの中の楽曲で言えば「真ん中」にある楽曲だった。

 

僕はこの「ハロー神様ダンス」についてしばらく考えてた。どう入れるべきか。手をどこまで加えるべきか。MIXをどう変えてもらうか。でも、僕の中では多少音質やその他をブラッシュアップするだけに留めておくことで決まった。もっとアレンジしたりああしたりこうしたりも出来た。でもそうしなかった。真ん中に、ナチュラルな状態で置いておきたかった。ここについてミルクとも喧嘩した。まぁまぁの喧嘩を。でも今回何度もアルバムを聴いていてこれで正解だったんだと確信を持てた。きっと音楽が好きな人なら僕の言ってる意味を理解してもらえると思うんだ。あの楽曲を真ん中として置く事で異常なまでに奥行きや発見や挑戦を感じ取る事が出来る。とても意味がある楽曲だった。

 

その次がM1「トーキョー・ブルーガール」だ。DEMOを一聴した時に「あ、きた」って思った。天才だと思った。水谷和樹という才能を待っていてよかったって。だから当たり前なんだけど、歌詞も最高のものが乗るだろうって確信があった。そこは生まれたての赤ん坊が母親を信頼するのと同じくらいの意味合いを持って。ここで言う「トーキョー」という言葉は文字面の持つ意味以上のものが含まれている。それは自分の解釈でいいんだけど、僕には戦場という言葉が当てはまる。本当に人によって変わっていくものなんだと思う。この街がそうであるように。

 

そんな街で生き抜く、生き抜くことが下手なブルーガールが一体どれくらいいるんだろうか。とても沢山いるんだと思うんだ。そしてシティポップなんて言葉がいつの間にか出てきたけども、僕たちのバックボーンにある、染み付いてるポップスはこんなものだったりするんだ。うん。この楽曲について説明みたいなものはMVにもあるし、必要ないのかもしれないんだけど、とても素敵な一曲になった。

 

その次に「黒猫横丁パラレルツアー」が来たんだっけかな。とりあえずイントロ長!ってなって笑 水谷和樹はたまにやってくるんですよ、イントロアウトロ長い系。いや、全然いいんだけど。ロマンチックとかそうだしね。そんで「嘘つきデモクラシー お釣りは出ないらしい〜」で始まる曲。ちょー好きだなぁってなって。少年がミルクって人は物凄いチャーミングが人なんだけど、とてもコミュニケーション能力がなくて、なんならコドモメンタルINC.の中で一番ないかもしれないって人で。人間が大好きなのに絶対にそう言えない、めんどくさい人なんですよ。この曲はまさにそんな感じで。

 

僕はこの人との旅はもう何年かになるし、きっと一生一緒に旅をしていくと思うんだけども、あーそうそうこいつまじめんどうなんだよなぁって思いながらこうしてこの人の作る音楽にヤられて、またヤられたーって言いながら進んでいくって旅なんですよ。それこそパラレルラです。きっと和樹もそう思ってるんだよ。皆さま本当にお疲れ様ですって言われたいわこっちがってくらい。だからなんか笑っちゃいます、この曲は笑

 

そしてM5「負け猫」とM6「floaters」と出来た。

 

負け猫はこのアルバムの中で一番激情的で叙情的な楽曲で、まさに少年がミルクそのものって感じで。僕は歌詞を見た時にこれは少年がミルク的演歌にしたいって言って。演歌ってのは情念を歌い上げるみたいな概念があるんだけど、まさにその通り。RECもとても楽しかった。だけど、良い曲になったらなったで、LIVEでの使い方に今度は悩むようになってしまった笑 とても嬉しい事なんだけども、そこに意味を見出していきたくなってしまう曲になった。もちろんLIVEってのは生き物だからその時その瞬間で変わっていくんだけど、これを事前にセットリストに入れるってのはとても勇気がいる行為だったりする。ここは伝わらないのかもしれないけど笑 とりあえずアウトロで何回も死ねる曲。

 

M6「floaters」は少年がミルクが息をするのと同じくらい普通の曲。普通の曲って言うとなんか手抜きみたいな感じを想像するのかもしれないけどそうじゃなくて、日常。圧倒的な日常の歌。僕の知る少年がミルクって人間は、話をする時も何かを考える時もこんな感じの人間で。ひねくれてて正義感があって後悔があって苦しさがあって。全くもって人間らしくて。でもこの世界観ってとてもわかりにくくて、一聴しただけではもしかしたらわからないかもしれない。もしこの世界観がわかるって人はきっとなんだろうちょっとヤバい人なのかもしれない笑 結局何が言いたいのよって言われたらとても人間らしい歌なんだよって事です。

 

ここからしばらく制作の苦しみ期に入って。和樹もミルクもなんとなく行き詰ってて。僕はその光景をなんとなく静観してて。

 

なんというか”簡単に出来るもの”じゃないんですよね。アルバムって。しかもぜんぶ新曲に近いって。とても大変なんですよ。そんな事は僕一番知ってて。でも敢えて仕事に徹するというか事務的なことを徹底的に突きつけた。納期いついつだよとか、早くRECしなきゃとか。うん。言い分はとても沢山あるんだけど、2人とも僕からしたらとても尊敬出来るアーティストなんだけど大人にもならなければならない。ここで言う大人ってのは創作に関してでなくて仕事として。コドモメンタルかもしれないけど、それは創作な話であって、仕事までそうで在ってはならない。うん。だから仕事をした。そして出来たのが

 

M7「ヘミリパルカル」って曲。

 

大好きな一曲になった。僕は生来暗いものが好きで属性で言えば完全にそっち系で。音楽は元より生活さえもそんな風に生きてきた。部屋の電気なんて絶対につけないしカーテンも開けない。ひとりぼっちで過ごすのは嫌だけどひとりぼっちで過ごしてきたからこそのアンチイズムと創作魂みたいなものがある。なのに、なのに、この楽曲のRECで僕はとてもとても笑顔に成れた。それは水谷和樹の楽曲と少年がミルクの歌詞と歌が成せる業だった。ケッタマシーン(自転車)であぜ道を駈けぬけたくなった。シャーって。しゃーしゃーって。

 

歌詞の構成もすごく良く出来ていて。Aメロの秀逸さと言ったらとてつもないもので。Bメロの「タントン」というフレーズ一つで死ぬ。和樹的にストリングスをとても頑張ってた。挑戦があって、この曲に合っていて。音楽は青春を消費してやるものだってどっかの誰かが言ってたけど、まさにその感覚で。36のおっさんが一瞬にして青春世界の中に引きずり込まれる。そんな事って絶対にない普段。だから感謝してる。めちゃくちゃ感謝してる一曲です。

 

さぁアルバムも後半で。

 

M8「永遠エキゾキッチュ」の番。事務所で和樹と契約書類を諸々してる時に聴かせてくれた一曲。「あ、天才」って。Aメロの跳ねたピアノ、絡んでいくメロディ、Bメロの疾走感にメランコリック、サビの突き抜け感と斬新な哀愁。これについては少年がミルクがこんな歌詞を乗せるんじゃないかってなんとなく思った。

 

少年がミルクは「サビの歌詞がもう恥ずかしくなるくらいダサいの」って嬉しそうに笑っていってた。僕は「ほんとじゃん」って笑っていってて。あーそれはもう本当に。このアルバムの中で一番聴いてる一曲だったりする。RAPもあるね。笑った。「シューゲイザーナイトストリッパー」ってフレーズなんかもう反則だと思ったし、なんそいつって思うし、でも観てみたいし笑

 

もしかしたら何か違う表現方法でもお届け出来るかもしれない曲です。

 

締めくくりの最後の曲はM9「ERROR」に決めた。

 

サビで両手をあげてシンガロングするのは僕の家での定番スタイル。この曲は僕の中で勝手に解釈してて、僕の戦う歌にしている。コドモメンタルINC.という独立系レーベルとして戦ってきて本当によかったと思ったし救われた。少年がミルクは「へー」って言って笑ってたけど。僕は勝手な思い込みが激しくて曲の意味を勝手に解釈したい。皆がどうかは知らないし、どういう風でも音楽を楽しんだらそれでいいと思う。

 

「音楽じゃ世界は変わんない」って一節は深くふかく僕の中で突き刺さっていて。確かに戦争してる人たちに音楽を聴かせたって戦争やめない(多分)。でも僕は音楽で世界が全て変わった人間の1人で。ハヤシくんもそんなこと呟いてたけど。そんな人は1人や2人じゃないと思う。何もかも捨てて音楽と生きていく事を決意した時、狭いせまい業界内でさえ圧倒的疎外感を感じた時、守銭奴や体裁しか守れない音楽を売る人間を見た時感じた時触れた時、悔しくて悔しくて狂いそうだった。くそだな!馬鹿野郎しかいねーな!音楽聴いた事ねーんじゃねーか!って怒りまくってその都度ミルクに永遠と恨み節を聞いてもらっていた。

 

失望も絶望もした。苦しくて苦しくて狂い過ぎて何度か本当に死のうと試みた。運良く生きてる。

 

HEROだ。僕の中の。少年がミルクというアーティストがいなかったら、「うるせーんだよ!」って言ってくれなかったら、僕は生きて此処に存在していない。足は動かない。勝手に歌い出す歌を届けなければならない。勝手に鳴り出すメロディをもっと届けなければならない。生きるの上手じゃないから上手く言えないんだけど、泣きながらでも伝えていかなければならない。音楽を。

 

葬式で流してほしい一曲が出来た。

 

届かないぱんちやネコダマシを繰り返しながらでも、猫魂はすり減らない。

 

一つ夢が叶った瞬間だった。

 

少年がミルク 1stフルアルバム「トーキョー・ネコダマシー」ってアルバムは僕にとって世界を変えるのに相応しい音楽が詰まったアルバムです。一緒に歩いてきてよかったと心底思うアルバムです。

 

是非手にとってもらいたく思います。

 

そしてアルバムをひっさげてツアーも回ります。LIVEは盤とは違った何かが確実に存在するよ。「ニッポン・ネコダマシーTOUR」各地遊びにきてくれると嬉しい。

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