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2020.11.7

乱文乱筆につき(終い)

乱文乱筆につき。
(著しく個人的な内容につき、ここでページを閉じた方が良い)

 

何処の誰ぞに言われた訳でもない。自分自身で決めてこの場所に居る。この場所で戦う。そう決めて確固たる決意で此処に居る。だとしても、この1年はボキボキに折られ続けた記憶しかない。

 

1998年春先。17歳の時に初めて自分のバンドで回ったツアーは何箇所だったか…ツアーファイナルが今は移転してしまった大須E.L.Lだったことは覚えてる。当時のツアーはライブハウスの推薦状が必要だったこともあり、僕らのバンドは名古屋MUSIC FARMから推薦状をもらいながら、ファイナルをE.L.Lですると言う愚行を犯していた。筋違いも許してくれたのは僕らが無知で若輩だったからに過ぎないだろう、今考えれば関係各所の皆さんが笑って許してくれていたことに大いなる感謝をと思う。ゴリゴリのインディーズだった僕らは、16歳からなんじゃかんじゃしたお金を貯めに貯めて最初のデモテープとツアーを計画した。当時の金額でバンド全体で集めたお金は80万程だったと思う。

 

まだ免許さえも持っていない癖に、近所の年上を無理やりにローディーにし、無理やりに車の運転をさせ、無理やりに何処にでも行き、無理やりに推薦状を取り、無理やりにワンマンの代金を安くしてくれとE.L.Lの社長と夫人にお願いをし、無理やりに350しか入れないと言われている箱で500枚チケットを売って、無理やりに作ったデモテープをライブハウス横に大体あるインディーズを取り扱うSHOPに置いてくれと頼んだ。なんせ無理やりだったことだけ覚えている。自分たちの音楽が良いかどうかもわからない状況で何故其処まで出来たのか今にしてみたらわからない。この物語は、当時所属した事務所の社長が逮捕された事で終わりを告げる(新聞でも取り上げられていたが薬物問題だった)。事務所には某有名バンドと僕らしかいなかったけど、先輩は早々に見切りをつけて独立していた。当時意味もわからないままその流れに翻弄されて、親も頼りもない僕は一夜にして街に放り出された。

 

輝かしい未来しか想像出来なかった自分が一気に叩きつけられた現実を直視することが出来ず、僕は世間の爪弾きものになる。所詮独りぼっちのみなしごはっち。”誰かに頼ること”を元々出来なかった性に拍車がかかった。人間として空白の期間は実に12年もの間に渡った。12年もの間、日本国民は愚か、人間としての尊厳さえ失っていたように思う。図らずも僕は、その行程で痛みに対して他の人間より強くなってしまったのかもしれない…

 

再び色を取り戻した時には時代はだいぶ変わっていて。見回せど”昔”は存在せず、銭の亡者と魑魅魍魎が跋扈するような世界に成り下がっていた。失望は絶望に変わり果てて、世界そのものを恨むようになった。17歳から32・33歳ほどまでわかりやすい不眠症だった僕は、平均的に2・3時間しか眠れない体になっていた。それでも生きていられたし、時折観ることが出来る”夢”に生かされているようなところもあった。気絶するように突然眠ることから数少ない仲間内からは毎度病院に行けと言われ続けた。言われ続けども、この夢が見られなくなったらと思うと、足は絶対に病院にむかなかった。

 

誰しもが何かの動機で物事を始めていく。その動機は本人しか知るよしもないが、何かに突き動かされ、人間が動くことそれ自体はとても素晴らしいことだと思う。

 

そうして始まっていった物語は、物語の語り部さえも変えて物語たるよう其処に存在する。僕はずっとそう想っている。何故なら、失っていくのはもうたくさんだと常々思い知らされて来ているからだ。其の意味自体がきっと僕にしかわからないのだろうと思えたのも最近のことかもしれない。不思議なもので”誰かに頼ること”や”誰かを信頼すること”と言った、自分からは到底離れ過ぎた能力は、いつしか自分の中に宿っていて、そうする理由も、そうしたい意味も、自分の中では説明が不必要な事柄になっていた。察するに様々な心的外傷を内包した精神を救うべくは、此れまた他人を信頼すると言う自傷行為にも等しい理由を欲していたのかもしれない。

 

何かを失う、即ち誰かを失うと言うことは耐えがたい苦痛だ。毎度毎度自分の無力を思い知るだけでなく、相手の心全てが見える訳ではないが、其の心の一旦に触れる度に、様々な角度からの痛みが存在するのだと思い知る。終ぞ理由の探索をしたくなる気持ちは誰しも同じとして、僕は君の誇りを一生を賭けて守ると常に言い聞かせる。そんなことは法律家からしたらちゃんちゃら可笑しな道理だと、いつもいつも怒られる。契約の意味を為さないとどやされる。とは言え、共に過ごした時間は嘘をつかないと信じて止まない僕は、如何なる時にも力を行使することを嫌がった。今もずっとそうして抗い続けている。

 

そんな法はどうでもいいとして、自らの中の決まり事として「無」で在ると言うことは大切な部分だ。此れは、物語を始めたもののルールだと思っている。初めから”持っている”ものを良しとする理由が、子供精神としては存在しない。”持たざるモノ”だからこそ紡げるものがあると心の底から信じている。この法は何より重いものとし、何をどう左右する時にも決断理由であるように思う。何故なら、死を決した己を開放したのは、水谷和樹・少年がミルク・syva・ハヤシタカヒロと言う音楽家たちだった。自身の死生観を此処で語るは烏滸がましいが、人の其れよりも軽んじて扱ってきた。だからこそ”怖さ”と言うものが理解出来ず、いつでも特攻して来られたのだろう。前述する無理やりと言う部分も此処に由来するものかもしれない。

 

「無」を自分たちで紡ぐからこそ、其処に意味や意義が生まれる。高尚な誰其れさんなどではない、そんな物を並び立てるな。貴様の信念は、信ずる信念は幾つも存在しない。魂を其処で汚すな。己で信じた物を信じ抜け。信じた結果が絶望するくらいなら最初から戦線に立つな。僕は決して、一生涯、此処だけは変わらない。

 

そして、敬愛する矢沢先生の漫画の中のあるキャラクターが「音楽を思いやりのない仕事にしたくない」と言う一節があり、僕の中で永遠に消えることのない言葉だと位置付けているが、これほどこれを実感した一年はなかったように思う。いつの世も辛く苦しいことは存在するが道理だが、此処までとは思いもよらなかった。

 

だが、だからこそ、折れた心をガムテープでグルグル巻きにしてでも、紡ぐべき物語が在ることを絶対的に認識出来た、出来ていた。人は想像や憶測で物を言うが、当事者であるものはその物に対して言い返す術を持たない。此れは真理にも近く、評論家である勿れと言う精神の為すところではあるが、相応にして立場の違いが明確に有り、道化じみた扱いをされるこの道の宿命でもあるように思う。僕も其の道理に則って自ら口にすることはしなかったし、其々の正義と言う大義名分に打ち勝とうとも思っていない。其々の正義は、人間が自分の尊厳を保つ為に必要な悪でもあると個人的には認識している。

 

死化粧。そう記された楽曲の中の一節を僕は漠然と眺めていた。きっと此れは概念の精神とでも言うべき倫理を持っている。すっきりした、そう感じた。きっと2020年9月の中旬以降僕が施していたのは、きっとこの死化粧だったに違いない。解釈にもよるが、決意の現れがそうだと。生半可な覚悟でないことは当たり前とし、形を為すことを信じる精神が常に左右に揺れる。何処かの誰かが「まだ早い」なんて言葉を発することを予見できないほど耄碌してる訳ではない。だからなんなのだ、だからなんだと言うのか。其れは絶対的なイデオロギーを持って発せられた言葉なのか僕には判断がつかないし、そも判断する必要もない。

 

どのような意見であれ、良いも悪いもなく、そう発せられること自体がこの仕事の本文だとして、傷つかぬ者など存在しない。此れ批判だとか、やれ評論だとか、其れ攻撃だとか、もとより顔面を前にして言えぬ”気持ち悪い世界”であることは楽曲内で散々語ってきているし、其れ自体は”今”この世界を構築する上での必要項であることは火を見るより明確だ。だとして、また其れを受け止める必要もなければ、発せられた側の権利というものも存在する。

 

乱文。乱筆につき。

 

そう冒頭で書かせてもらった。何故ならこうして僕今村が言葉を紡ぐのは此処で終いにしようと思っていた。正確に意識したのは数時間前のことであるけれど、ぜんぶ君のせいだ。が47都道府県ツアーの一ヶ所目(地方として)の地に辿り着くまでが、僕が胸を張って務めるべき仕事だと意識していた。とうの昔に尽きていた命日をなんとか今日此処まで生き存えさせてくれたのは、君や君の気持ちに他ならない。

 

ありがとう。有り難う。有難う。

 

様々な言葉をこの場所に置き去りにしていた。願いを、祈りを、神にではない、神など仏などどうでも良い。そうではなく、僕の信仰は、演者の君たちと、其れを応援してくれている其処の君にだけむけて捧げている。大袈裟ではない。大袈裟なものか、其れを否定するは、僕の日本国民としての数年間を否定する事になる。君や君に其の覚悟があるだろうか。意見が違ど、気持ちが違ど、演者を想う気持ちは同じだと、其処も信じて僕は疑わない。この場所に置き去りにしてきた沢山の言葉達を拾い集めて、また僕は僕として存在していたいと思う。

 

ツアーで君の街に行く。

 

そう伝える僕や僕らが君の瞳にはどのように写っているだろうか。知る由もないが、僕の思うツアーというのは全てを賭けて望める物。全てを其処にぶつける者。其れほどの気概でこの行いは紡がれて行く。もとより、修行だのなんだのではない。根底はもっとシンプルな物だ。君の街に、君の顔を見に行く、それだけのことだ。音楽を携えて。其れを戦略だの修行だのやり方だの言うから具合が悪い。そんなつもりでいるのなら、とっくの昔に破綻している。銭金を考えるのなら、そんな道理は通用しない。だからこそ、ほとんどのモノがやらないんではないか。少し考えればわかることだ。

 

乱文乱筆につき、失礼しました。

 

数年に渡り、言葉を残してきたこの場所も本日を持って永久に更新されることのない場所と成る。けれども、其れほど重い一日を此処に記すことが出来た。全ては現実の世界で。現実の世界にて紡がれる物語の中に居たい、僕はそう強く思う。死ぬ訳ではない、生きて会おう、ライブで。

 

何処の誰かもわからないものの文章を読んでくれて有難う。

 

毎度僕が何処に居るのかわからないけど、きっとライブで会おう。