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2019.9.19

心の中

皆さんおはようございます、イマムラです。朝です。

 

深夜に書き始めようと思っていたのだけど、朝になってしまいました。今日のタイトルは「心の中」です。

少し前だったかのブログに「in the brain」というタイトルの記事を書いたのだけど、それと対になる記事だったりします。

 

脳で考えた事をアウトプットするのは勿論の事、なんだけど、その脳で考える時に同時に必要な要素が間違いなくこの「心」というもの。そして音楽というものと向き合う時、商業音楽と向き合う時、そうじゃなくてもそうだろうけど、その中でも特にだと思う「心」との向き合い方。

 

一本の柱を決めているとしたらこの「心」の部分。

 

誰に何をどう言われたとしても、自分で決めて納得した事しかやらない。大枠の部分になるけども。この部分が誰かの意見などに左右されてしまう時が来たら、これは僕が僕としてコドモメンタルではなくなった時だと思う。だからコドモメンタルが在り続ける限りは確固たるその部分を持ち続けていたいと思ってます。日本じゃなく、世界も合わせてほぼ人類が評論家のこの時代で、何かものを作ってそれを世の中に出すという事は、それだけ難解な事だと理解してる。受け入れてもらえなかったら明日はないわけだし、かと言って誰かの意見で動けるのならその人じゃなくていい。

 

例に漏れずうちが何かアクションを起こす時って、必ず良いも悪いも言われる。それはとても有難いこと。どんな意見を目にしても心の中に留めてる。いつもありがとう。

 

そして、もっと中に深く入って行くといつだって揺れ動いてる心が在る。誰かじゃなく自分がこれで納得出来るのか?この正解のないパズルみたいなものと、僕も演者もスタッフも常に戦っている。楽曲はこれで良かったか、歌詞はこれで良かったか、アートワークはこれで良かったか、MVはこれで良かったか、PRはこれで良かったか、営業はこれで良かったか、毎回毎回必ずずっと考える。以前言ったけど、作品を出す時にはもう次の作品を触っているわけだから、毎回心は前に行ったり戻ったりを徹底的に毎日繰り返す。勿論何より大切なものは今現在だったりするし、今現在で未来は変わるし、言い方を変えれば過去だって変わる。過去なんて変わらないじゃんって思うかもしれないけど、こうした業界では今現在にて過去さえ変わって行く。イメージで。

 

よく聞くフレーズの中に「気持ちが追いついていかない」というものがある。全然そのフレーズの内容はとてもとても理解出来る。僕自身心と脳がバラバラに動く・動かざるを得ない時も沢山あって、色んなものが壊れそうにもなったりする。でも極力、そうなっていられない。気持ちは追いつかないとかじゃなく、追いつかせるものだと思ってるくらい無理矢理にでも自分をそういう意味では騙す。でもそうすると葛藤というか矛盾がやっぱり生まれて来て、納得が一番大事なのにこの気持ちや心は無理矢理納得しようとしていないか、みたいなものが出てくる。そういう時には一旦全てをシャットアウトする。社員でさえ、関上しか僕と連絡が取れない時ってのが年に数回だけある。そういう時は絶対にこの上記の状態になっていたりする。

 

そして今回の記事の本題(前置きが長くてごめん)だけど、結局この気難しく苦しんだり矛盾したりする「心」が何で保たれるのかって部分だ。

 

一つは音楽。どれだけ気持ちと頭が離れてしまって、どれだけ好きと嫌いが離れてしまって、どれだけ芸術と商業の間で苦しんだとしても、新曲が来る度に、新しい歌詞を見るたびに、新しい曲を聴く度に、その一つ一つの度に、何でどれだけ苦しんでいたかなんて一瞬で忘れてしまう。まるでそれは、新しいおもちゃを手に入れた子供のように、夢中になってしまう。水谷和樹とsyvaとハヤシタカヒロとGESSHI類と少年がミルクとGeargeとオキタユウキとかわもトゆうきと上條渉と右京とmekakusheとまだ名前を出せない作家の皆がそれを与えてくれる。そうしたら嬉しくて嬉しくて色んなものを作り出すしすっ飛んで営業にも行くし、何より永遠に聴いている。もはやただのファンだ。僕の営業なんてもう技術もクソもない。まじで、本当に、好きで好きで仕方ないし、良いに決まってるので放送してくれとか掲載してくれとか、もうゴリゴリのゴリに押す。

 

二つ目はメンバー。バンドの子たちもグループの子たちもソロアーティストの子たちも、皆音楽と向き合って楽しかったり苦しかったりしてる。勿論作る上では苦しんだりもするから、そこは仕方ないというか在って然るべきの痛みなので良い。新曲と向き合ってる時の顔、新曲をRECしてる時の顔、新曲をLIVEで演る時の顔、此処がすごく大事で、僕にとっては心を保つ為のとても大事なファクターになっている。バンドマンだった僕なんかは特にそうだけど、自分のバンドの新しい曲のDEMOはテレコで録ったものを永遠と聴いていた。向き合うのを通り越してわけわかんない事にもなってたけど、新しい音楽と向き合ってる時の演者たちは本当に素敵な顔をしている。

 

三つは目は君と君たちと君たちの声だ。僕は音楽人生の中でツアーで言ったことがない土地ってのがもう4つくらいしかない。でもまだ行けてない4つの土地には近々必ず行きたいと思っている。そして日本じゃなくても外国でも音楽を待ってくれている人たちが沢山いる。その場所に行って、心を込めてLIVEをする。するとどうだろう、地響きなような声が必ず聞こえる。それは物理的じゃない場合だってある。物理的に地響きじゃなくたって、心に届いて来る。嬉しいと感動して泣いてる子だっている。その声が、心と脳をこの世界に留めてくれる何よりの要素なんだ。僕たちは来てくれてありがとうって言って、君たちも来てくれてありがとうって言って。各地で皆が望んでくれてLIVEをすることが出来て声が聞こえる。嬉しい、何よりも嬉しい。大勢の人が来てくれるLIVEは声が沢山重なってとても嬉しいけど、各地に言ってその土地の方便やイントネーションなども含めて生で声を聞けるのは何よりも嬉しいものなんだ。だから僕は行った先で必ず物販に居るようにする。皆の顔を見てありがとうを言うし、こっそり皆の会話なんて聞いてるかもしれない。楽しかったって言われたら、もう何よりもただ嬉しい。

 

今朝だけども、さっきまでレコーディングをしていた。

 

もう彼此何年か、ずっとそう言う生活をしている。気づけば、ぜんぶ君のせいだ。は10枚目のシングルを出そうとしている。アルバムは4枚出して、再録は3枚目を出そうとしている。つれづれも数は違うけどそうだしKAQRIYOだってそうだし星歴だってそうだしバンドもアーティストも皆、今、こうしてる間にも音楽と向き合っている。

 

心を使って音楽をする。だから心をもらって音楽が出来る。それは君にも、演者にも、関係してくれる人にも、皆に対してそうだ。

 

むちゃくちゃどうでもいい話なんだけど今日の記事の意味の「心」と言うニュアンスが英語で表現し切れなかった。ハートでもマインドでもスピリットでもなくて、なんかin the brain感を出したかったけど、出せずに日本語になってしまった。でも、それでいいんだと思う。

 

ニュアンスやその他も含めて、納得と合わせて、言葉も何かを伝えるのにとても大事なツールだから。

 

心。

 

心が何より大事な職業が音楽業界だと思ってる。とても不思議な世界で、とても狭くて、とても淀んでいる世界なんだと思う。でも、僕らはこれからも「心」で仕事をして行きたい。なんとなく追記するけど、みちゃちゃんのCOSMIC BOXと言うイベントももうすぐ休止してしまう、だからこそ普段だったらあり得ないけど3アーティスト出演OKを出した。

 

人は心。心の絆。

 

これからも何よりも大事にして行きたい。