10枚の軌跡
皆さんこんばんわ、イマムラです。深夜です。
今、ぼくはお化けが出そうな空気の悪い空間の中にいます。眠りたいけれど、眠れない程の苦しさもあり、そう言えばブログを更新したかったことも思い出しこうして記事を更新しています。今日のタイトルは「10枚の軌跡」。
ぜんぶ君のせいだ。10thシングル「ぜんぶ僕のせいだ。」
©️ ぜんぶ君のせいだ。
10枚目が、先日2019/10/16(水)に発売となりました。とても感慨深いものがあった。
ご存知の方もいるかもしれませんが、ぼくはいまだに”アイドル”というジャンルの音楽やそのアーティストをあまり知りません。特に、女性グループというものは自分のバックボーン(音楽遍歴)などを遡ってみても全くという程触れて来なかった。2015年のいつ頃だったか、当時codomomentalに居た人間がアイドルが好きだと言っていて、手掛けてみたいと言ったのが始まりだったのが”ぜんぶ君のせいだ。”です。今や10枚目のシングルを出すような存在になりました。
ぼくは女性グループを知らないし、特に興味もないけれども、ちゃんと音楽をやれるのだとしたらやってみても面白いのかもしれない。当時ぼく自身が考えていた本音です。
現株式会社コドモメンタル(コドモメンタルINC.)はレーベルプロダクションとして、音楽業界の隅っこで小さく息をしていますが、当時の英語表記codomomentalは様々なものを”創る”集団として機能していました。今でこそ作業はしない(時間がなくて出来ない or 作業自体ぼくより得意な人間が世の中には沢山いる)けれど、当時は自分でカメラを使って写真も撮るし、動画映像も撮る、編集も自分でする、PhotoshopやIllustratorを使ってデザインもするし、DWを使ってWEB構築なども行なっていました。というか、出来ること、いや出来ないことでも興味があることはとにかく”自分 or 自分たちでやってみる”タイプなのは今も変わらないかもしれない。
これは実は前職の経験から来てるんだけども(その昔はお店を何店舗も経営するグループ会社を経営していたけど、初期の初期お店の改装費用が足りなくなって自分でお店を1から作っていた為)経験しておくって大事なことだなと今は思います。
とにかくcodomomentalというものを作るまで、ぼくは音楽業界というものに心底失望していた。いや、正確に正直に言えば今でも失望している。きっと。だから真剣に音楽と向き合ってこの業界の中で生きていくことに多少というかだいぶ消極的だった気がする。けれども一度やってみようと決めたことから逃げるのは自分の性分には合わないし、何よりも音楽を身近に感じて生きていけるということは、その当時のぼくからしたらとても凄いことで、夢のようなものだったんだ。
オーディションを開始して、手探りで全て進めていった初期。当たり前だけど音楽や音楽業界に関する知識はあっても女性グループというものに関する知識は0だ。何もわからないまま進んでいった。そんな無責任なと思うかもしれないが、何事も最初というのはそんなもんなような気もしてる。如月愛海とは映画を作ったりメディアを運営したり様々なことを英語表記のcodomomentalでして来たからこそ信頼があり、ましろがオーディションに来て、よつもオーディションに来て、なんだかんだと最初のLIVEをしたよね。最初のLIVEからワンマンをするんだってのは、グループを作った時から決めていたことだった。
何故ならぼくが自分でバンドをやっている時、最初のLIVEは地元の楽器屋さん主催のものだったけれども、一番最初に自分たちのバンドで企画した自分たちのLIVEは、名古屋の大須E.L.Lでのワンマンだった。名物店長(オーナー)がいて、その奥さんに毎回LIVEのダメ出しを受けながらやってた15歳の頃。16歳の時にその初めてのワンマンをやらせてもらった時、LIVEハウスの運営も何もかもわからないから、ぼくはオーナーに「LIVEのチケットを1,500円にしてくれ」と頼んだ。当時は対バンのLIVEなどで2,300円や2,800円に1ドリンク500円が主流だった。「その代わり、ぼくは400人絶対に入れる」と豪語した。当時のE.L.Lはあんなに立派じゃなくて、まだ吉野家の横の地下だった。キャパはどう考えても300くらいで、キュンキュンに詰めても320人が限界だった。
結果ぼくは自分で手売りチケットを250枚売って、他のメンバーが150枚ほど売って、400枚のソールドアウト。本番が始まってもLIVEハウスの外に長蛇の列が出来る、みたいな状態になった。全然自慢とかの話ではなく、ぼくはその時とても達成感があったし、自分たちだけの音楽を自分たちのやりたい世界観で伝えられるワンマンというものを特別に感じた。それをぜんぶ君のせいだ。のメンバーたちには最初に感じて欲しかった。
よくこの世界は運だとか、努力しても報われないかもしれない、なんて言うけども、勿論そう言うケースも存在すると思うけど、でも、ぼくは努力は報われると信じている。最初のワンマンまでに出来る仕込みはこれでもかってくらい沢山した。結果180キャパ(公称)で、200枚以上の人を入れてソールドアウトとなったのが、ぜんぶ君のせいだ。の最初のLIVEだった。
初めての流通音源はアルバムで「やみかわIMRAD」として、1stシングルは「無題合唱」だね。今でもLIVEでちゃんと歌います。
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
2作目のシングルは「僕喰賜君ノ全ヲ」だった。これも死ぬほど大切な曲だし、BPMの早いシンセ楽曲はこの「僕喰」をいかにして超えるのかっていつも勝手にプレッシャーを感じて制作してる。
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
こうして見るとアートワークもやっぱりいつもこだわりがあって(当たり前だけど)世間に対するアンチテーゼとかシニカルな表現だったりだとか、沢山入れたくなってしまうものだよね。勿論楽曲にもよるんだけど。
ここで2枚目のアルバム「あにまアニムスPRDX」をリリースする。WECとかこのアルバムでって感じだったね。取り急ぎ今日はシングルの話を。
3枚目は「Sophomore Sick Sacrifice」だった。
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
この曲はLIVEではとてつもなく重宝する楽曲で、前後曲の雰囲気を一気に変えられる楽曲。ツアーを全通してる人たちなんかは絶対に知ってるけど、可愛い曲から激しい曲へとか、激しい曲から可愛い曲へとか、エモい曲からなになにとか、そう言う時にはこの楽曲が間に入ってくれたりするだけでめちゃくちゃスムーズに雰囲気も壊れずに出来る凄い曲。
で、4枚目は「わがまま新生Hominina」だね。ぜん君。なりのカオティックPOPSを体現してみたくて「キミ君シンドロームX」とかの系譜に連なるような楽曲を生み出したくてこの楽曲になった。
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
曲もMVもアートワークも大変だったのを覚えてる。いつもぼくがディレクションをぜんぶするんだけど、そのディレクションが作業する人間たちの感覚とリンクしないことがたまにあって、ぼくの頭の中ではこうなのに!ってなってキー!ってなって、違うそうじゃない、こうなってこうなる、みたいなやり取りを数日間ずーーーーっと行うみたいな制作期間だった。歌詞を体現してくれたメンバーには感謝しかない。
5枚目「せきららららいおっと」
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
このシングルの前に3rdの「Egoistic Eat Issues」を制作してるね。ソロ曲とかも。
「言葉なんてなくても、伝わるの知ってる」ってフレーズが和樹のDEMOから一瞬で連想されて、タイトルはその真摯な想いが”伝わりにくい”ものにしたくて、こねくり回してたら結果「ら」が多くなって笑った。毎回和樹もsyvaくんも面白いものを作ってきてくれるから、制作をまとめてる身としては楽しみで仕方ないんだよねっていつも思ってる。
6枚目は「トナリコレアラタ」だ。
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
漢字で書くと「隣維新」なんだよ。チェキとかでメンバーの人となりを知ってる人たちはわかると思うんだけど、皆一癖も二癖もある面倒な女性で、それはいいも悪いも超越した所にあるんだけど、この子たちが誰かの隣にいる為に何をしないといけないか?って真剣に考えてたら、もうこれは改革とか革命とかだなって(笑)なったんだけど、言葉の感覚として「維新」ってのが一番しっくり来てね。でもメンバーだけじゃなくて女性も男性も誰かの隣にいようと思ったら、それは自分よりも大切な君の為に出来ることを真剣にするってことだと思ってて、GESSHI類に「トナリコレアラタ」ってどう思う?って一言LINEしたら、2時間後くらいに歌詞が送られて来て「好き♡」ってなった笑
この後に4thアルバム「NEORDER NATION」をリリースして、その中でも死ぬほど大切な楽曲がたくさんある。
7枚目は「革鳴前夜」です。
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
グループもそうだし、メンバー個人もそうなんだけど、いきなり凄い人になんてなれないんだよ。誰しもそうでさ。痛みも苦しみも楽しみも積み重ねて積み重ねてようやく何かが形成されていく。そうして出来上がっていくもの。この「革鳴前夜」は完全に決めに行ったと言うかね、最初から本当に細かい部分からTwitterなどのSNSとか、楽曲も、メンバーの個性も何もかも、全てこの楽曲に照準を当てて来たと行ってもいいくらいの楽曲だったしタイミングだった。
成長も説得力も何もかもこのタイミングでしかない、そう思って作って来た。世間ではこの楽曲を普通に売るべきだって言われた。ぼくからしたらこの方法以外にはあり得なかった。彼女たちが望んだ、Zeppという大舞台に、少し強引な方法だけどもぜんぶ君のせいだ。を信じて愛してくれる人の元だけに届けるクローズドな方法論は、ジャンルだとか業界だとかそう言う枠の中で”自分たちは自分たちだ”と公言して進んで来たぜんぶ君のせいだ。と言う概念がなかったら成立はしないけれど、でもだからこそ、その想いを紡いで行きたかった。
素敵な歌が出来て、本当に幸せだと思う。
8枚目は「Natural Born Independent / ロマンスセクト」
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
生来のオリジナルは確固たる独立性を持っている、そう伝えたかった。彼女たちのマインドは何かに揺れ動かされるものではないと。MVは風が強くて寒かった思い出だったけど、素敵なものになったなぁと。楽曲はね、聴いてもらったらわかるので。アートワークに”人外感”が出せて嬉しかったなー。それからある時期から自分の中で掲げてきたものが「NEO ROMANCE SECT」と言うフレーズ。時期的には僕喰の時に決めたもの。そう、ぜんぶ君のせいだ。の生き様は此れなんだよ。
文学にロマン派と言うものがある。彼ら彼女たちは厳しい政府の状況の中、文学を通して愛を伝える為に命がけで創作した。ぜんぶ君のせいだ。とは愛が重いものであって。ファンの皆もきっと同様だと思う。だからこそぜんぶ君のせいだ。はその思想を新たな思想として解釈し直したもので在るとぼくは思ってる。これはメンバーたちと常に行動を共にする中で思うもので、彼女たちの本質的な姿を言葉として代用したものなような気がしてる。から気に入ってるとかそんな次元じゃなく、彼女たちが新たなロマンスセクトなんだよね。
9枚目「AntiIyours」
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
自分のことが好きって人もたくさんいる。自分のことが嫌いだって人もいる。どちらが在ってもいいんだけど、新生と言う意味でのアンチテーゼをタイトルにも用いた。彼女たち、そしてぼくたちは、君たちがいなかったらこうして息をすることが出来ない。聴いてくれる人がいなかったら、LIVEに足を運んでくれなかったら、受け入れてくれなかったら生きていけないんだ。とてもわかりやすい楽曲になってると思うけど、ぼくの感覚は少しズレてるからちゃんと伝わってるのか不安だけど、また新たな大切な楽曲。
何よりも”君のもの”と言うフレーズが大事なことなんだ。
10枚目、を先日リリースしました。
10thシングル「ぜんぶ僕のせいだ。」
©︎ ぜんぶ君のせいだ。
よりアーティスティックに。アートワークもMVも楽曲も。歌詞も。ぜんぶ君のせいだ。はぜんぶ君のせいだ。だから。
信じて待った。こうして欲しい、こう言う楽曲で次のブランディングを立てたい、など言わず。歌詞についても。ギリギリのギリギリまで待った。もうこれ以上は待てないかもしれない、発売延期かもしれないってところまで待った。和樹とGESSHI類がくれた宝物は、こうして楽曲となってメンバーが息を吹き入れることが出来た。
説明する必要はないように思う。曲を聴いて欲しい。MVを観て欲しい。その中のメンバーの歌を表情を、振りを、所作を、全てを。バックバンドじゃない、ぜん君。バンドのハヤシタカヒロ(Ba.)・岡村耕介(Gt.)・RISA(Dr.)・水谷和樹(Key. / Gt.)を。エンジニアのsyva、作家の水谷和樹とsyvaとGESSHI類を。
如月愛海を。
ましろを。
一十三四を。
凪あけぼのを。
征之丞十五時を。
聴いて、そして観て、その上でLIVEで。そこに全てが在るので感じて欲しい。何が在るのかを。君自身が感じて欲しい。
軌跡は奇跡なんかじゃない。
彼女たちが生きてきた足跡だ。
その道は決して綺麗なものじゃなかった。苦しんだ。そしていつも泣いた。泣いて、また一歩踏み出していつもそれを繰り返した。繰り返してきた。
誰にとって価値がなくても、ぼくにとって彼女たちのその一歩は何物にも代え難い宝物。よわむしでも、そうしていつも泣きながらも進んでいく姿に、ぼく自身も励まされ、勇気付けられ、生きる活力をもらう。その分きっと彼女たちがその重みを背負うんだろう。だから君たちが少しでも笑って進めるように拙いながらに精一杯これからも努力するよ。
10の軌跡はありがとうの数。
嬉しいな。とても嬉しい。
これは夢じゃない。だから、ぼくも生きていける。
“君たち”のせいで、生きていける。
ありがとう。