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2019.12.12

文化総合

皆さんこんにちわ、イマムラです。普通の夕方です。

 

今年を走ってる最中(まだ出来てない案件がある)ですが、少し来年の豊富じゃないけれど何というか目標を口に出しておこうかなと、そんな風に思ったのでほんの少し気分が乗った今、書き記しておこうと思います。なので、タイトルは「文化総合」です。

 

自分の中でのキーワードってない?

 

僕は幾つかパズルのピースみたいに、それでいて宝物みたいに大切にしているものがある。一年に一回、必ず見返したりするもの。映画・ドラマ・アニメ・小説・漫画・音楽。演劇や舞台も。キーワードというか何かしんどくなった時、見失ってしまった時、進めないと思った時、立ち止まった時、なんかに必ず助けてもらうもの。自分で掲げた免罪符にガチガチに縛られて動けなくなった時、何かの正義に息苦しくなって自分の正義だけを信じようと決めた時、狂おしいほどの混乱に一筋の光を夢見させてくれるもの。

 

そういう大切なものがある。

 

お礼を言うなんて烏滸がましいほど、自分と言うものが形作られる為に大切で大切で愛おしいもの。そう言うものが確実にこの世の中に存在する。その前でだけは、自分を曝け出してもいいとさえ思えるもの。

 

僕にとってそんな大切な文化。

 

音楽。

 

コドモメンタルと言うものは、音楽を世の中に出すレーベル事業と、その音楽を奏でるアーティストたちのマネジメント事業、この2つが柱となっています。音楽は売れないなんて言われている時代に、まぁ懲りもせず音楽をやり続けています。それはもうライフスタイルとして、息をするように、当然のことのように。だけれども、それは決して”当たり前”ではない、当たり前なんかじゃないんです。例えばツアーを発表する時、◯◯(土地)がないと言う言葉をよく聞く。まず、行けなくて申し訳ない、力が足りなかった。これが僕の率直な本心。けれど、その場所へ行く、行ける、と言うのは当たり前じゃない。

 

簡潔な話、動員がなければその場所へ行くことは出来ない。先行投資として行くべきだ、と言う意見は当たり前にあるとして、その先行投資はどこかで回収出来なければと会社だからこそ、そう皆が思うわけだ。ある種その部分は、未来への希望を見据えて動いて行くのだが、希望と無謀は別物である。これはあくまでも一例として、音楽を音楽として続けて行くのは、決して当たり前なんかじゃない。”続ける”と一概に言っても”続けられる”とも限らない。そんな不安定なものだったりする。それが現状の音楽だ。これは誰しもがそうであり、常に戦わなければならない不安の一つ。

 

でもいつだって救われてるのは、そんなしんどい中でのLIVEや音楽。大好きなアーティストの皆が奏でる音楽に、いつも生かされている。

 

その中で、表現としてのアウトプット、音楽はこれからもコドモメンタルの何よりも大事なものであり続けるだろう。音楽と向き合うことで、生きていられる僕たちにはなくてはならないものだから、どうしたってこの選択肢はなくならない。けれど前述したようにとても困難な道だからこそ、色んなことを考えて実行して行くだろうと言う気持ちでいる。真剣に向き合って向き合って音楽していくよ。

 

本。

 

コドモメンタルBOOKSとして本を出して行く。2019年に決めたことの一つ。やっぱりやったことがないものというのは、なかなかに大変で、熱量も何もかも、まっすぐ込めればいいという訳でもなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりした。言い方を変えれば、何も知らないんだから、ここから知って生き抜いて行く楽しさもふんだんにある。出来ないことや困難は全然辛いことではない、むしろやりたいのにやれないことは僕にとって牢獄にいるのと等しく息も出来なくなる。だから、とても楽しい仕事の一つだ。まだまだこれからやってみたいものって当たり前にあって、今回はよつのフォトエッセイ(死ぬほど気に入ってる)、しかも本人の気質に合わせたセルフにしたけれど、コンセプトのある写真集みたいなものもやりたいし、小説などの文学作品や、ライトノベルも手掛けてというかうちから出してみたい。

©️ ぜんぶ君のせいだ。&コドモメンタルBOOKS

 

アニメ作品になるようなコミックや、小さい頃から親しんできたコミック雑誌なんかも面白そうだ。これはやるやらないの話ではなく、面白そうなものは触ってみたいというフリーク心というか、知的好奇心に近いのかもしれない。とにかく僕にとって本というものは、自分を救ってくれたり変えてくれたりした大切なもの。音楽と同じように、どんどん触っていきたいし、世の中に出していきたい。2020年はジャンル別に作品を出しながらあっち行ったりこっち行ったりしてみたい。

 

服。

 

現場には現場に合った服装や戦闘服があるように過ごしているけど、とても好きなものの一つだ。「まさか!」と思われてるのかもしれないし、それはそれでブランディングが立っているのだから全然いいことなのかもしれないが”服”というのはある種の薬みたいな作用がある。

 

女性グループの衣装もいつもディレクションする。音像は、LIVE感は、今表現したいことは何か、など服とはその時の状況や環境によって様々に表情を変え、その上そのものに包まれたら「頑張ろう」と気持ちが上昇するような効果もある。世界中で愛されるスーツなんて特にそうで、オリジナルやオーダーなど枚挙に遑がない。ステージ衣装も当然そうであるべきだし、楽しいことの一つである。けれど僕は男だし、どちらかと言えば音楽のことはとても深くわかるけど服はただ”好き”という人間なので、いつも衣装のMIHO氏の力を借りてこの世に具現化してもらう。でも、いつも必ずこの子の衣装はこうしてああしてこういう風にしてってディレクションさせてもらう。

 

ことからもわかるようにとても好きなのである。最近で言えば、ましろ×水谷和樹×小室響(岡村も)のマオエニアに関しては全てスタイリングさせてもらった。

©️ マオエニア

ちょうど昨日、マオエニアは初のLIVEである渋谷WWWを終えたばかりで、リアルタイムで楽しかった思い出だったりもするけど、この3人の衣装は既存をベースに味付けしてるような雰囲気で。ハイブランドもファストブランドも古着も状況や環境によっていつもとても大好きだ。でもましの衣装の靴は昨日のLIVEで動きにくい!って怒られたので、某ブランドの鮮烈な赤い厚底は考え直す必要があるのかもしれない笑 あと強烈にこだわってあしらった胸元のロザリオも「暴れるのに邪魔」という事で昨日は開始早々に和樹の足元に転がってた笑

 

コドモメンタルの中でも服好きな人間は沢山居て。筆頭は狂ってると言っても過言ではない少年がミルク。僕も大好きだけど自分で着られないものが多いけど、彼女は本当の意味で服が全ての薬みたいな子だから。それから兒玉拓也。最近お店を出したらしいんだけど忙しすぎて行けていないから近々話をしに行きたいんだ、奴の美学や哲学が詰まったおもちゃ箱はこれからも絶対面白いに違いない。女性グループで言えば如月も服好き、和樹も、メイも小町も、游も季も、いや挙げたらキリがないくらい皆服好き。

 

グッズもいつも楽しくやらせてもらってるけども、もう少し、深く服と関わるという意味で2020年は服に関する部門も出来るはずだ。とは言え正直これもほぼいつもやってる事だったりもするから、あまりやることは変わらないのかもしれない…

 

映画。

 

長らく出来なかったことの一つ。というか、僕はどちらかと言えば”誰かの為にすること”が好きで、その中にほんの少し自分のエッセンスを入れられればそれで満足だから今までは正直あまり乗り気になれなかったんだけども…実は先日alff(LINKA)と食事しながら話していた中で、”自分の創作”と”教育”について考える事があって。

 

もちろん本でも音楽でも自分の創作であるのは間違い無いんだけども、もっと踏み込んだものをそろそろやってもいいのかもしれない…とほんの少し、本当にほんの少しだけ思った事があった。これはコドモメンタルという会社の部門だとか部署だとかそういうなんか大仰な話ってよりももっと個人的に、内向きな話だったりして書くかどうか結構迷ったけれど、言わないとやれないような気もしていて描いてみた。

 

映画は自分に対する暴力みたいなところがあって、なんでも全ての世界を自分で作れてしまう。物語を作る事が好きな自分が、何よりも恐れるのはそれが”誰のためのもの”なのか、の部分。いつもその部分を考えると映画を撮るという部分に足踏みしてしまう。やはり全てを自分の世界の中に閉じ込めてしまえるからなのだが、少しずつ、ほんの少しずつやってみようか、みたいな気持ちになりつつ、なりつつある。とは言え、やっぱり誰かの為の仕事が常なので、後回しになってくるんだけど。

 

今でも結構忘れられないのは、やっぱり自分で物語を作って撮る映像。少年がミルクで言う「新宿シネマコレクション」「CURTAIN CALL」はそうだし、ゆくえしれずつれづれ「新宿シネマコネクション」も自分で全て組んで撮ったからとっても楽しかったのを覚えてる。2020年、どこかでやれるといいな、とちょっと思う。

©️ 少年がミルク

 

教育。

 

と言うと、なんかとても硬いイメージがあるし、実際僕はそこに関しては結構人と違う道を歩んできた。家庭の事情と言えばそれまでだし環境のせいにする訳では無いけど、およそ人と同じ道は歩めていないし、学べていない。でもそんな中でも僕は以前専門学校の講師をしていた、今それを知ってる人はとても少ないけれど…

 

音楽マネジメントと思いきや、僕が教えていたのは全てを含むアクティング。謂わゆる演技指導みたいな事だった。広義で言えばブランディングとも言えるのかもしれない。散々学校側を最強に批判しまくった授業をしていたのに熱心に参加してくれてた生徒たちは今どこで何をしているだろう? わかんないけど、どっかで頑張っててくれたらいいなと思う。少し話はズレるけど、うちの新人スタッフの羽深ってのは、はるか日本海側から僕らコドモメンタル、と言うか僕が教える学校で授業を受けたくてわざわざ名古屋まで来て入学して、でもその時には僕は忙しくなり過ぎて講師は続けられなくなっていたので東京にいたんだけど、そうしたらまたこっちまで追ってきたと言う変わり種でもある。そして今うちでスタッフをしてる。

 

や、その時僕がすごく思ったのは専門学校という専門的(に見えるかなり不透明なもの)な部分を教える学校という場所は絶対にもっと熱量があるべきだし、一線で戦う人間が教えるべきという部分だった。このような業界の中では、教えるよりも盗めという感覚にも似た部分がある。丁寧に一から十まで教えるというのはなかなか難しい、感性にもよる部分が大きいから。だから盗める人が教えるべきなんだ、その所作から全て余すところなく盗む事が出来れば、学ぶ方からしたらどれだけ大きな財産になるのだろう。そう思っていた。

 

形作る全てのものを総合した場所。グラフィックなど目に見える部分から、心持ちなどの目に見えない部分まで。どんなアウトプットにしたら若い芽が育っていくか、今もうそれを頭の中で構築していたりする。日本はもちろん、世界で戦えるようになる。それはうちがどうのって訳じゃなく、そう世界はどんどん開かれて来ている。こちらの2020年楽しみにしてやっていきたいと思っている部分でもある。

 

舞台。

 

あまり多くは語れないんだけど、今現在学びながら創作…。

 

とね。

 

タイトルに掲げた「文化総合」というのは、僕はコドモメンタルを文化が交差する刺激的なおもちゃ箱みたいなものにしたい。ずっと一人で思って来た事だけど、最近かなり心が近い数人に話し始めたのでここでも言って有言実行していきたいと思う。

 

レーベルに所属するアーティストを見るだけでもそんな雰囲気があると勝手に思ってる。皆個性的で攻撃的で一筋縄ではいかないアーティストばかりだ。本当に楽しみだ。色んな事が。

 

ただ、その前に、少し僕は”考えるタイム”をしながらこの2019年を過ごそうと思う。もちろん残っている沢山の仕事たちと楽しみながら。次はいつ更新出来るかな、案外近いかもしれないし、全然遠い未来かもしれない。わからないけれど、必ずその中で育んでいるものは文化です。

 

君は今、笑えてる?