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2020.1.17

多様性について

皆さんこんばんわ、イマムラです。深夜です。

 

今日のタイトルは「多様性について」。年末の名古屋CLUB QUATTROにて少しだけ話をさせてもらったものだね。

 

多様性。

 

難しい説明は省くけれども、様々なものが混在する世界なので色んな価値観を持った人や物事が存在するけれども、的な。

 

閉塞しがちな業種や業界にはこの多様性がとてつもなく認められにくい。いや、業界とか業種という部分じゃなくても、その業種や業界を取り巻く全ての環境が、と言った方が正しいと思う。イメージの世界とも言うべき部分だったりするので多少は仕方ないと思う所もあるが、ぼくがフラフラ漂ってるだけでもそのようなものは結構見かける。

 

人間は往往にして、自分と違うものや考え方の他人を拒絶しがちだ。かと言うぼくだってそれが0かと言われればそんなことないんだろう。今すぐにはパッと思い浮かばなくたって、きっとそう言う一面がある。取り分け、自分の好きな世界の話になれば、人は普段の何倍もその効力を発揮するように思う。

 

以前2019/12/28(土)名古屋CLUB QUATTROでぼくが話したかったのは、様々な価値観を持つ人が集まるからこそ、その多様性を認める努力をして、その上で最善の優しさを持って楽しもうねと言うことだった。ぼくが「文化ってカルチャーじゃん」と言ったその一節にバカウケしてる子達も居たが…笑 ぼくはそれでも全然構わない。「話入って来ませんでしたー」って笑ってたけど、きっとちょっとは入ってる、と信じてる。

 

例えば何かで知って、初めてアーティストを好きになったとする。LIVEにだって行きたい。でもLIVEは想像の中のものだったりするのでどう行くのが正解なのかわからない。こんな話は結構聞く。それが例えばコドモメンタル所属のアーティストだったりしてくれたら、ぼくらはとてもとても嬉しい。そしてLIVEハウスに来たら右も左もわからない、人に聞きたいけどそんなコミュニケーション能力はない、不安だ、などなど、人には色々あると思う。

 

「そんなの皆通って来た道でしょ、なんとなく周りを見て気づいたらいいじゃん。」これも一つの意見だと思う。「なんか不安そうな子がいるから力になれることはないかな…」これも一つの意見。視点を変えてみて「初めてのLIVEだからとにかく慣れてるっぽい人を探してその人や周りの真似をしてみよう」これも一つの意見だし、「初めてのLIVEだからわからないことは人に聞いてみよう」これも一つの意見。どの意見が正解かなんてものは存在しないし、自由だからこその楽しさや面白さだって存在するわけだから全て決められたものなんか逆に気持ち悪いかもしれない。

 

よく言われることだけども「俺たちの頃はこんな◯◯じゃない〜」から始まるジェネレーションギャップ無視話。もう一つは「バンド or 女性グループ or このようなアーティストは〜」から始まるジャンル・カテゴライズしがち話。これも意見の一つ。どれが正しい訳でもないし、正しくない訳でもない。どちらも経験から来る意見の一つ。

 

知らない or 推測 or 思い込みで物事を全て決めきってしまう決めつけ系も意見として存在するね。ネットなんか見てるとこの手のタイプは結構存在してると思う。でもこれも意見の一つ。

 

音楽の世界も在り様も何もかも、前時代とは全て変わったと言っても過言ではないのが今の時代だと誰もかれもが感じているはずで、それでもちょっとした上記例だけでも沢山の意見が存在する。別に何が良いとか悪いとかでもない。

 

世の中には多様な物事や価値観が存在している、と言う証拠。

 

通例・慣例、お役所などではこのような言葉が使われるのかもしれないし、そんなのに縛られてたら良い仕事が出来ないっすよ!みたいなドラマ的な台詞とかももしかしたら何処かで誰かが言ってるのかもしれないし言われてるのかもしれない。

 

全てを認められる、とはならないよ、やっぱり。ぼくも人間、君も人間。今まで育って来た環境や状況により人間の価値観は大きく変わるから。

 

ただ、認めようとする努力はするべきだと、今でもそう思う。

 

でも価値観の話なら認められても、文化が違うってなったら結構大変だね。今書きながら結構色んなことを想像してたけど、文化の違いはなかなか受け入れたりするのに時間がかかるんだろうね。今の現代日本では絶対に口にしない食べ物とかを食べてくれって言われたら苦しむもんね笑 けれどこれもまた知ろうとする努力は必要なんだろうなと。

 

あくまでもぼくの話になるんだけど、この多様性をしっかりと意識して認めて行くべきだと感じたのは施設育ちという部分も関係してるのかもしれない。そこには様々な問題でその場所にいるぼくらのような子供たちがいたわけだから(話が逸れた)。政治は詳しくないけどあっちこっちでぴーちくぱーちくやってんのも、いや…それはなんか違うのかな、違う気がする、わかんない笑

 

人は一人一人違って、それがこの世界。

 

なんとなくなんだけど、それは意識して過ごしていきたいと思ったんだ。よくétéのオキタがぼくは一人、君も一人、みたいなことを言うけれどその通りだし、当たり前なんだけど、結構そこを間違えてしまうことも多いと思う。ただ少し思うのは、多様性がある時代に生まれることが出来てよかったなと思う。選択が出来て、考えることが出来て、自由を履き違えるのではなく認めて受け入れることが出来る世の中を素晴らしいなと思う。

 

なんだか世界平和を願う、みたいな気持ちになって来たんだけどそうじゃなくて(いや別にそうでもあるんだけど)もっと狭い話、ぼくらの話、音楽や本や映画や漫画や服や舞台なんかの自分たちの話。

 

多様性を楽しむことが出来たら、今よりもっと面白いと思わない?

 

ってことだった。言いたかったのは。

 

アーティストって音源出すじゃない。そしたらそれを聞いてもらいたいから各地でLIVEしようとする。街が違えばその街の文化もあってそこでするLIVEがとても好き。そして、それを楽しむことが出来たら素敵だなと思う。

 

何が言いたかったんだろう笑

 

皆それぞれ目標を決めてそれに向かって走ったり準備したりしてる。かと言うぼくも同じで走ったり準備したりしてる。もっと色んなものを吸収したいと思う。凝り固まるんではなく、理想を言えば認め受け入れる、そうじゃない時も沢山あるんだろうけど、それでも拒絶だけはしたくないと思う。

 

楽しみなんだよね。そして多様性に関する認識を少し変えてみるだけで、楽しみが何倍にもなるなって話だった、かも笑

 

全然話は変わるんだけど、コドモメンタルINC.の中の話でさ、担当ってのが存在してたんだけど(各アーティストごとに)それがなくなりました。担当があると言うのは知ってる人も知らない人もいると思うんだけど(LIVEによく顔を出す人は知ってたと思うけど)良い部分も悪い部分もある。悪いから担当制を無くしたよって話では全然なくて、こうして色んなことを考えてる時に、一度初心に戻ってやってみようと思ったのがきっかけだった。

 

スタッフが担当してた件を引き上げて最初と同じ、全て自分で(LIVE現場帯同は物理的に人間なので1つの所にしか行けないけど)行おうと決めたわけです。とは言え企業なのでぼくの働きが悪ければまたやり方や進め方を検討して変化進化させたりはするんだろうけども。なので言い方を変えれば全てぼくがマネージャーということになるね。

 

精一杯誠心誠意アーティスト達と共に頑張って行きます。力尽きるまで。

 

多様性の話から派生してこの話になったけど、スタッフも皆元気だし、現場にいるし、また可愛がってやってください。今年も楽しみなこといっぱいだし、来年も楽しみがいっぱいだよ。

 

ここで締めに「文化ってカルチャー」を擦ろうと思ったのだけど、なんかいやらしい感じがしたのでやめておきますー。